つるし飾り考

江戸時代から歴史のあるつるし飾りは、戦後(昭和後期)消えかかっていました。平成5年に稲取地区婦人会の活動として、つるし飾り製作が始まりました。古老を招いて教えを頂いたり、古いつるし飾りを参考にして型紙を起こしながらの地道な作業の末、作品を町の文化祭に出品、展示されると大きな話題となりました。

このつるし飾りは、生まれた子が無事成長することさえ困難な時代に、娘の無病息災を祈り、初節句にひな壇の両脇に飾りました。娘が無事成長し、良縁を得る頃、大願成就のお礼をこめて正月のどんど焼きに納めたのです。

桃

それゆえ、古いつるし飾りはほとんど残されず、母親や祖母が縫った飾りを焚上げきれずにそっとしまって置かれた数少ないものがお手本となり、今ふたたび甦ったのです。元来、願い事はそのようなものであるのかも知れません。

そして最も大切なことは、いつの世でも変わることがない子をいつくしむ親の心。そして親を慕う子の思いを、このつるし飾りの文化風習がふたたび目覚めさせてくれたことだと思います。

九州・柳川や庄内・酒田にも同様なものがあり、そこから伝わったとの説もあるようですが、いずれも確たる経緯はなく、それぞれ独自の文化の中で発祥したものの様です。

平成10年から稲取温泉旅館協同組合が「雛のつるし飾り祭り」を企画、開催し、旅館の女将さんたちの渾身の努力もあり町おこしに発展、たくさんの来町者でにぎわうようになりました。

最近では全国各地で、このつるし飾りを真似て作られるようになりました。飾り物はかわいいからと言って何でも付けるものではなく、娘への思いを形にした意味のある祈りの飾り物なのです(飾りのいわれ参照)。「お雛様をどのようにしてつるして飾るのですか?」との質問をいただきます。つるし雛と呼称する方もいますが、お雛様をつるすのではなく、壇上に飾ったお雛様の両脇に添える飾り物なのです。稲取のつるし飾りは、桃の節句の飾りで五月の飾りや正月のまゆ玉とは違った独自の飾りで、もも、さる、三角が厄払い魔よけの原点でどこの家庭の飾りにも必ず入っています。